生きねば。

遺書。

1年経った

人間は薄情なものだね、忘れてしまうんだもの。

 

 

あれから家族は結婚式を挙げ甥っ子が生まれ、自分の身近までコロナは迫り、そして私は春恒例の体調不良で5㎏痩せたがだいぶ回復はしてきた。

一昨日も倒れたけれど。

何故こういう時に限って携帯廃人のくせに携帯を部屋に置いてきてしまったのか。

まぁ、倒れたのは家の中なので問題ない。

 

話が逸れた。

 

本厄から後厄に入って、あと半年で厄明けだが駄菓子菓子、ここ何ヶ月も続く情報量多すぎるのに狭い世界の毎日で精神はガリガリ削られ、ただただ疲弊しているばかりである。

何か楽しいことはないのか。

最後に遊んだのは1月2日だよおかしいな?!

 

話しが逸れましたね。

 

 

何度も何度も見送ってきたのに、

あの子はあんまりにも苦しんで逝ったから、

特別なものとなってしまった。

 

あの最後の日のことは今でもはっきり覚えているのだけれど、

あの子が楽しそうに駆け回っていたことは断片的にしか思い出せない。

すごく懐いていつも私の姿を探して側に居てくれたのに、

側に居てくれたという事実は覚えているのにその姿はすっぽり頭から抜け落ちてしまった。

 

子供の頃から精神を病んだせいか、楽しかった記憶ほど消えて無くなる悲しいおつむをしているので、

ある日突然記憶から消えてしまう。

さっきまで記憶にあったのに、あっ、今記憶が消えたってそれだけはわかるのは何故なのか。

遺憾の意を表明

 

話しが逸れましたね。

 

 

一年前に書いた日記はとても悲しくて見返せないから、何を書いたのか記憶の彼方に旅に出ているが、

あれから遺骨はペンダントにしたのよ。

遺骨から外が見える、ガラスの砂時計。

コロナが終わったら、いっぱい世界を見渡そう。

 

 

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