生きねば。

遺書。

マロンちゃんお疲れ様でした。

6月26日 朝8時

お犬様は独りで痙攣していた。

 

 

その前からほとんど食べなくなって

歩けなくなってきて

バニラアイスは食べた!

ボーロは何が何でも食べる!

初めてなのにちゅーるは食べるんかい!!

…って、ちょっと元気が出ただけで大喜びしてたのだけれど、

その朝に医者からはもう長くはないと言われた。

 

痙攣の原因は低血糖

一年半程糖尿病の闘病をしてきたが、あんなにお腹がパンパンになるまで食べていて体重も全然減らないお犬様が急に食べなくなって、そして低血糖になるなんて、死ぬならもっと他の原因だと思っていた。

 

 

点滴と、痙攣止めと血糖値を上げる注射をしてもらってお家に帰ってきた。

医者からはガムシロップ に砂糖を混ぜて舐めさせるように言われた。

けれど疲れたのかなかなか舐めてくれないので10分毎に口に流し込む。

寝ているところを起こして流し込んで起こして流し込んで、嫌がっても流し込んで、動かないことを良いことに伸びた足の裏と顔の毛を切って嫌がられてまた流し込んで、寝てるからと洗濯機を回すために離れたら寂しかったのか起き上がった。

 

やっぱり流し込みすぎたのか、途中お皿一杯半のお水を長いこと飲んだ。

一杯目を飲んでいた時、疲れてくるとだんだん頭が下がっていって、水がなくなってもお皿に頭突っ込んで寝たまま舐めていたので2杯目を飲ませた。

 

 

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午後になってから再び痙攣が始まった。

痙攣の後は何故か立ち上がって歩けないのに歩き出そうとする。

小さい頃飼っていた犬が死の直前に身を隠そうとしたのか反対方向へ歩き出していたのを思い出した。

 

 

落ち着いて過ごせるように私の寝室へ移って、寝転がった私の上に乗せて寝かせた。

2人でうとうとした。

穏やかな時間だった。

 

 

また痙攣が始まったのでお犬様のベッドに戻した。

 

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茉莉がウロウロしていたのだが、お犬様が寝ているベッドに乗り込んできた。

お犬様と猫が一緒のベッドで寝てるのを見る日が来るとは思わなかった。

お犬様は迷惑だったのか、ベッドを抜け出した。すまぬ。

 

 

その日の夕方、嫁に行った妹が帰ってきて2人と1匹で散歩に出かけた。

お犬様は自分で頭を持ち上げて目をキラキラさせていた。

家に近づくと項垂れた。

家の前で痙攣を起こした。

 

この頃には痙攣は頻繁になっていた。

 

 

 

夜。

私がとりあえず何か夕飯を食べるためにちょっと離れていた間に痙攣は酷くなって、ほとんど食べずにお犬様の元へ戻る。

 

 

痙攣が全く止まらなくなった。

今まで聞いたことないような悲痛な悲鳴で鳴いていた、それもだんだん聞こえなくなった。

壊れた木馬のように頭を大きく振り続ける。

歯をカチカチ鳴らしながら頭を振り続ける。

どれだけ時間が経っても止まらない。

もう死なせてあげてくれと願ったが、医者から丈夫だと太鼓判を押されていた心臓は頑張ってしまった。

もうねんねしよって何度も声をかけたが、お犬様は頑張ってしまった。

 

 

深夜11時過ぎ、夜間救急へ走った。

車で20分くらいかかる遠いところ。

母が運転して、私がお犬様を抱きかかえて、

もう少しで楽になるよーと声をかけながら。

死なせてあげるために走った。

 

病院に着いたらすぐ診てもらえて、検査をしてもらって、血糖値を上げれば痙攣は止まるはずだと、血糖値を維持すれば脳に障害は残るかもしれないけれど延命は出来るはずだと、朝には開いている病院に行ってくださいと言われた。

時間はかかったけれどお犬様はちょっと落ち着いて、母と次の日何をどうするか打ち合わせして、もっと早く連れてきてあげればよかったと言い合っていた。

医者も次の日行く病院に症状をメールしてくれた。

生きてくれるなら何でもするつもりだった。

けど、お犬様の痙攣は再び始まった。

脳の障害のせいかもしれないと言われた。

このまま何度も痙攣するかもしれないと。

 

 

母から医者に切り出した。

安楽死はできますかと。

 

もう限界だった。

これ以上苦しませるくらいなら、殺してあげたかった。

 

 

夜遅くなって帰らせていた妹に電話した。

安楽死させるか悩んでいると。

後悔するなら看取りに来いと。

 

 

妹を待つ間もお犬様は痙攣を続けた。

医者にもう何本か鎮静剤を打っているが、この子の場合は30分程で切れる。

安楽死するなら無駄になるかもしれないけれど鎮静剤を打ちますかと聞かれた。

医者は黙って待ってても私たちには分からないのに、やっぱり動物好きな人だから苦しんでるお犬様の為に聞いてくれるんだね。

鎮静剤を打ってもらった。

もうすぐおねいちゃん来るからねー。

頑張ってねー。

 

 

 

令和元年6月27日1時53分頃、お犬様はみんなに囲まれて逝った。

 

あれだけ暴れていたのに、麻酔を打ったお犬様はすうっと大人しくなった。

あれだけ止まって欲しかった痙攣が、いとも簡単に収まった。

すぐに心臓を止める薬を打って、お犬様は静かに眠った。

心臓は止まっても、鼻はピクピク動いていて、ああまだ頭は生きているんだなと思った。

マロンちゃんおやすみねー。

最後の言葉をかけた。

 

 

お犬様を抱いて車に乗り込む時に母の眼鏡が座席に置いてあって尻で踏み割ってしまった。

妹と笑った。

マロンちゃんお家帰ろうねー。

いつもの日常が帰ってきた。

 

 

家に帰って、私の部屋でお犬様と母と川の字で眠った。

苦しげなお犬様の息が聞こえて飛び起きた。

 

 

朝起きて母と火葬の手配をする。

夜7時半に家に来てもらうことになった。

 

 

仕事から帰ると妹が既に来ていた。

みんなで撫でた。

体重は最後まで5キロ超えて全然減っていなくて、拾い食いばかりしてダイソンやらイベリコ豚と言われていたお犬様らしくて笑った。食べなくなってからも拾い食いは欠かせなかっただけはあった。

どこかへ行っていた猫も、2匹とも帰ってきた。

7時に葬儀屋から電話がかかってきて、後30分でお別れの現実を知る。

鼻はしっとりとしていて、垂れ耳は柔らかかった。

 

 

この日は台風が来ていてどんどん雨風が強くなっていった。

 

7時半、玄関のピンポンが鳴って、母に連れてきてと言われた。

私がお犬様を連れて行った。

葬儀屋から説明を聞いた。

最後に母が抱いて、生きている時は嫌がったからいっぱいしちゃうと、いっぱいキスしていた。

 

葬儀屋さん、天気が悪すぎて慌てていたのか、頼んでいたシルクのお布団を敷き忘れていて、妹がすかさずツッコミを入れた。

私と母は布団どうしたのかなーと思いつつもボーッとしていた。

 

こだわりのお布団に寝かせて、大好きだったたまごボーロとグリニーズをあげて、最後のお別れをした。

着火は母がした。

 

天気は途端に落ち着いていった。

 

お犬様、車から顔出して強風に吹かれるのが好きな女だったからな…。

 

 

闘病していたから骨は脆いかなと思っていたが、真っ白い骨がちゃんと残っていた。

指の骨は超小型犬らしくちっちゃかった。

マルチーズなのに医者にマルチーズ?!っていわれる程デカい5キロだったけど。

 

骨は粉にしてもらった。

一緒にお散歩できるように一部はペンダントにして、残りは大好きなお外に散骨できるように。

 

 

今、お犬様は私の寝室に居る。

明日は初七日だ。

 

 

1週間の内1日しかない私の休みまで頑張ってくれたマロンちゃん。

一生懸命頑張ってくれたマロンちゃん。

お疲れ様でした。