生きねば。

遺書。

今週のお題「私の沼」

 

 

 

小さい頃から植物やら動物やらを育てることに興味があった。

 

保育園の卒業アルバムは野原の絵。

好きな図鑑は動物の育て方。

 

初めて飼ったのは1匹の犬だったが、始ってしまったのは100点のテストと引き換えに飼い始めたシマリス

その辺りから知り合いから貰ってきたウサギやら道端で捕獲したインコやら流行っていたハムスターやらがどんどん増えていった。

どの動物も連れてきたのは大体が親だが、そのうち「自分1人で世話ができるのなら飼っていいよ(どうせできないだろう)」と言い出した。

そんなわけで、小学生の僅かな小遣いをはたいて動物よりかは身の丈にあった植物に手を出すことになる。

身の丈に合ってるだけあって、動物とは比べ物にならない軽さで増えてゆく。

狭い部屋が植物で埋まる。

その頃に憧れたのはナウシカの地下室である。

そんな感じでズルズルと時は過ぎ、最終的に親は「自分のお金で全部世話できるならね」と言い出した。

結果、自分のお金ならどれだけ注ぎ込んでいいという方向に振り切れて、インコのケージは高さ180センチになり、庭にせっせとブランド苗が並ぶのである。

 

昔から、一回始めたら飽きることがない子供であった。(現在進行形)

 

 

自分で思い返しても、家族が思い返しても、普通の子供でなかった。

おいで〜って呼びかけたらみんな来るから、気付いたら野良犬達を引き連れていた。ボスか。

大きくなってからは流石に動物に警戒はされることが多くなった。

警戒されるが、逃げない奴もいる。

自分の気配が薄すぎるのか、それとも体臭が獣臭くて仲間認定されているのか。どっちなんだい。

猫♂の弟♂にヤキモチ妬かれている時点で獣臭いに清き一票!

 

庭弄りは植えても植えても手が回らなくて枯らすから、好きなだけで向いてはいないのだろう…。

趣味と言えるのはこっちだが。

(人外は扶養だよ…)

本当に好きなんだよ庭弄り。

できるのならば職業にしたいくらい好きなんだよ庭弄り。

(人外は扶養してるから無言の圧力感あるんだよ…)

 

 

 

小さい頃から自分が生きている意味が分からなくて、むしろ無駄な命だから早く消えなければならないと思っていた。

無駄な命を無駄でなくすために、他の命を飼いならす。

それが楽しい。

自分に達成感と優越感とをもたらすために、ただ他の命を犠牲にしている。のかも。しれない。