生きねば。

遺書。

奮発してみましたシリーズ

鋏一本簪(はさみいっぽんかんざし)|簪専門店wargo(ワーゴ)wargo http://www.wargo.jp/products/detail3386.html

 

 f:id:taut:20170602231651j:image

 

去年から普段使いするかんざしが欲しかったのだが、一目惚れして誕生日が近いからと言い訳してうっかり奮発してしまった。

野口5人に別れを告げやってきたのは、遊び心(?)が詰まったハサミ型のかんざしである。

スチームパァァァアンク(?!)

ハサミ部分は糸切りとか眉切りハサミくらい。

頭に付けていると、いい感じに不審者に見られる。

 

ちょっと残念なのは、めっちゃ曲がる。

棒の部分が結構曲がる。

簡単に曲がるから、簡単に戻せるからいいんだけれどね。

買って1時間でポケットに入れて曲がって放心したのは切ない思い出。

焼き入れてないんだろうか。

・・・真鍮製は焼き入れしないもしかして?

 

まだ慣れていないのと髪を切って今は短いから結い辛いのもあって、毎回曲げてしまう。

慣れるのが先か、折れるのが先か。

付いてて良かった修理アフターサービス。

 

短い髪にかんざしを刺す時のコツは、つむじのそばの高い位置に刺す事。

後頭部下の方だとかんざしに絡めて巻き込む髪の長さが足りない。

最初から夜会巻きみたいに髪をねじって形を作ってから高い位置で絡め留めると、肩より少し長いくらいの自分の髪の長さでもかんざしを使うことができた。

普通の使い方みたいにかんざしを回し留めながら形を作る方法は長さが足りず断念。

 

ちょっと気を付けたいのは、

 

f:id:taut:20170602234126j:image

 

位置が悪いとちょっとした事件に見えることかな…。

(そして頭のてっぺんに縦に刺すと大変馬鹿っぽいぞ)

墓標が死んだ

f:id:taut:20170602211731j:image

 

墓標が死んだ。

意味不明だと思うが、そのまんまの意味だ。

 

 

自分が死んだら墓代わりに植えてもらうつもりでいた桜が死んだ。

桜の木の下に眠る骸というものになってみたかったのだ。

だって永遠の厨二病だもの。

 

エレガンスみゆきという桜と梅の合いの子で、小柄で秋から春まで長く咲く品種だ。

鉢植えOK!うっかり親に切られる事もない!!!

自分の本名と同じ名で運命を感じたのだが、まさか、別れが早すぎた。

まさか自分を置いて先に逝くなんて。 

 

去年数輪だけ咲いて、今年は秋から春まで咲いていた。

満開になることはなかったけれど、真冬でも常に数輪はポツポツ咲いていて、ああやっと安定して枝が充実してきたんだなと思っていた。

桜が咲く季節には一足早く葉桜に。

一斉に芽吹いて、ああ満開にはならなかったな

ーとちょっと淋しく思っていた。

枯れた。

淋しいで済まなくなった。

 

 

 

いきなり枯れた。

あっという間だった。

先週元気だったやん?!だった。

唖然というか、本当に二度見した。

出掛けに車で通り過ぎて、思わずバックした。

我ながら、見事な二度見だった。

 

 

原因に心当たりがない。

桜切る馬鹿と言うが、切ってない。

忙しくて投げやりな生活してたから、肥料もやり損なってあげてないから肥料焼けもない。

ってか、触(れ)てない。

虫もカマキリの卵くらいしか居ない。

あれか、根元にワッサワッサ白彼岸花植えてるからか。

一年目から植わってるわ。

 

 

 

一年目から何故か枝先が鉄砲虫にやられて、コント体質な自分に似て不憫な子ッ!とは思って居たが、死んだ。

いやいや、敗者復活戦あるだろと思っていたが、死んだ。

現実見て見たが、やっぱり死んでた。

彼岸花の葉も枯れてた。

君はそろそろ植え替えの時期デスネ。

 

 

 

f:id:taut:20170602214136j:image

 

張りと艶があった木肌がツブツブだ。

胴枯れ病の症状と酷似。

確定だろう。

つまり死んだ。

 

私の墓標は死んだ。

 

 

 

f:id:taut:20170602221045j:image

今週のお題「私の沼」

 

 

 

小さい頃から植物やら動物やらを育てることに興味があった。

 

保育園の卒業アルバムは野原の絵。

好きな図鑑は動物の育て方。

 

初めて飼ったのは1匹の犬だったが、始ってしまったのは100点のテストと引き換えに飼い始めたシマリス

その辺りから知り合いから貰ってきたウサギやら道端で捕獲したインコやら流行っていたハムスターやらがどんどん増えていった。

どの動物も連れてきたのは大体が親だが、そのうち「自分1人で世話ができるのなら飼っていいよ(どうせできないだろう)」と言い出した。

そんなわけで、小学生の僅かな小遣いをはたいて動物よりかは身の丈にあった植物に手を出すことになる。

身の丈に合ってるだけあって、動物とは比べ物にならない軽さで増えてゆく。

狭い部屋が植物で埋まる。

その頃に憧れたのはナウシカの地下室である。

そんな感じでズルズルと時は過ぎ、最終的に親は「自分のお金で全部世話できるならね」と言い出した。

結果、自分のお金ならどれだけ注ぎ込んでいいという方向に振り切れて、インコのケージは高さ180センチになり、庭にせっせとブランド苗が並ぶのである。

 

昔から、一回始めたら飽きることがない子供であった。(現在進行形)

 

 

自分で思い返しても、家族が思い返しても、普通の子供でなかった。

おいで〜って呼びかけたらみんな来るから、気付いたら野良犬達を引き連れていた。ボスか。

大きくなってからは流石に動物に警戒はされることが多くなった。

警戒されるが、逃げない奴もいる。

自分の気配が薄すぎるのか、それとも体臭が獣臭くて仲間認定されているのか。どっちなんだい。

猫♂の弟♂にヤキモチ妬かれている時点で獣臭いに清き一票!

 

庭弄りは植えても植えても手が回らなくて枯らすから、好きなだけで向いてはいないのだろう…。

趣味と言えるのはこっちだが。

(人外は扶養だよ…)

本当に好きなんだよ庭弄り。

できるのならば職業にしたいくらい好きなんだよ庭弄り。

(人外は扶養してるから無言の圧力感あるんだよ…)

 

 

 

小さい頃から自分が生きている意味が分からなくて、むしろ無駄な命だから早く消えなければならないと思っていた。

無駄な命を無駄でなくすために、他の命を飼いならす。

それが楽しい。

自分に達成感と優越感とをもたらすために、ただ他の命を犠牲にしている。のかも。しれない。

眠るように安らかに迅速に死にたい

三十路を目前にあれもこれも懐かしく思うようになった。

懐かしいということは、それだけ歳をとって死期が近づいたということだ。

そろそろ自分が死んだ後のことを考えて何か残しておかなければならないと思った。

このままでは遺影もない。何故なら常に写真では能面かなんぞかんぞかぶっているからだ。

イェーイ。(遺影だけに)

 

死ぬときくらいは綺麗に華麗に死にたいものだが、薄々自分はコントみたいな死に方をするんだろうなとは思っている。

地雷は踏んだことしかない。

何故か特攻兵に徴兵されるのだ。

帰りのガソリンもください。

行く前から常に満身創痍です。

 

ゴミ箱に片足突っ込んでハマってそのまま頭ぶつけて死にそうだ。

自分なら豆腐の角に頭ぶつけて死ねると思う。

誰か否定してくれ。

 

人外達、保険金は残すから達者で生きろ。

 

死亡フラグが乱立しすぎて既に剣山が見参状態だが、自分の死期はわからない。早いことだけはわかる。

むしろまだよく生きていたな、片足立ちもできないのに。

いつ死ぬのだろうか。

いつ死ねるのだろうか。

人外達を看取れば看取るほど生死感が狂ってゆく。

元から頭はオッパカパーだが。

 

初めて自分はおかしいのではないかと思ったのは5歳の時、何5歳児のくせして3歳児に気を使っているのだろうと思った時だ。

精神の故障が早すぎた。

生き辛い世の中だぜby5歳児

 

そんなこんなで自分の世界は今日も狂っている。